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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)1953号 判決

原告

青木哲

右訴訟代理人

青木英五郎

外三名

被告

株式会社朝日新聞社

右代表者

広岡知男

右訴訟代理人

芦苅直巳

外三名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告は原告に対し、朝日新聞東京版の朝刊三面左最上部に四段一〇センチメートルの巾で、本文は六号扁平活字、見出部分(朝日新聞謝罪広告)は縦書四段抜、初号活字、末尾の朝日新聞社の部分は二号活字、代表者名は三号活字として、別紙朝日新聞謝罪広告文案のとおりの謝罪広告を一回掲載せよ。

2  被告は原告に対し、毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞の各東京版、朝刊の社会面に二段一〇センチメートルの巾で、本文は六号扁平活字、見出部分は三号活字、末尾朝日新聞社の部分は四号活字として、別紙朝日新聞謝罪広告文案のとおりの謝罪広告を各一回掲載せよ。

3  被告は原告に対し、金三〇〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和四八年一月九日から、内金二〇〇万円に対する昭和五〇年六月二一日から各支払済に至るまで年五分の金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  第三項につき仮執行の宣言。

二、被告

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一、請求原因

(一)  被告は昭和四七年六月一七日付被告会社東京本社発行の朝日新聞東京版朝刊最上段に四段抜で、「竹本は東京に潜伏か『変装、新幹線で送る』隠匿グループの青木が自供」との見出を付して、別紙(一)記載の新聞記事(以下、本件(一)の記事という)を掲載し、次いで、昭和四八年一月九日付朝日新聞東京版朝刊左最上段に四段抜で、「潜行一年――竹本はどこに」との見出を付して、別紙(二)記載の新聞記事(以下、本件(二)の記事という)を掲載し、いずれも東京都一円に頒布した。

(二)  本件(一)の記事は原告が犯人蔵匿罪の犯人である旨の虚偽の事実を記載したものであり、これによつて原告はその名誉を著しく毀損された。もつとも、原告は強盗予備罪で指名手配されていた竹本信弘と面談し、同人に原告の知人を紹介したことがあるが、これは原告が竹本の求めに応じて同人と面談した際、同人に自首を勧めたところ、同人がこれを受け入れないので、説得ないし相談相手の適任者として、原告の信頼する人物を竹本に紹介したものであり、何ら非難されるべき行為ではなく、もとより犯罪行為ではない。なお、原告は右述のとおり知人を竹本に紹介したことから、昭和四七年六月犯人蔵匿の容疑で逮捕されたが、その後の勾留理由開示手続において、原告の右行為は罪とならないことが明らかとなり、原告は勾留を取消されて釈放された。

(三)  本件(二)の記事は次に述べるとおり、原告が現に竹本をかくまつているか、あるいはその疑いのきわめて濃厚な人物であるかのような誤つた印象を読者に与えるものであり、これによつて原告はその名誉を著しく毀損された。

すなわち、右記事の狙いは、「潜行一年――竹本はどこに」という見出から明らかなとおり、読者に昭和四八年一月九日の時点における竹本の行方についての情報を提供し、読者の関心、好奇心に訴えようとするものであるところ、右記事には前文に続いて、「首都圏にひそむ」との断定的な中見出が付されているため、読者は竹本が首都圏にひそんでいるのではないかとの印象を受ける。その直後の本文冒頭に、「共同正犯 昨年六月、奈良県警に竹本をかくまつた疑いでつかまつた東京都新宿区大京町、印刷業青木哲(四九)」との記載が続くため、読者は、新宿区が首都圏であること、原告が過去に竹本をかくまつた疑いで逮捕されたこと、原告の住所、氏名、職業、年令が具体的に記載されていること、朝日新聞は従来被疑者の氏名に敬称を付さず、呼捨にしてきたが、右記事中の原告の氏名にも敬称が付されていないことなどから、竹本をかくまつているのは原告ではないかとの印象を受ける。読者の右疑念に追撃ちをかけるように、「青木などに資金援助を頼んだほか、ポルノ写真、麻薬を売りさばいてくれないかともちかけ」との記載が続き、原告はポルノ写真、麻薬などに関係のあるきわめて反社会的な人物であるから、竹本をかくまいかねないとの印象を強めている。さらに、右記事は、一方で竹本の「潜行」に関係した人物として、「有名作家」「映画監督」「大学助教授」等を挙げながら、住所、氏名等を具体的に記載せず、他方原告についてはただ一人、住所、氏名、職業、年令を記載するという不公正かつ差別的な扱いをすることによつて、原告のみが「隠匿」に関係しているとの印象を強めている。右記事は最後に、竹本がまだ東京都内かその周辺にひそんでいる旨の埼玉県警八島警備部長の断定的談話を記載することにより、原告に対する右印象を固定して締めくくつている。

(四)  本件(一)及び(二)の各記事は、警察当局が何らかの意図のもとに虚偽の事実を被告会社の記者に告げ、被告会社がこれをそのまま記事にしたものか、あるいは被告会社が警察当局の談話にヒントを得て作文したものかのいずれかである。後者の場合、被告は故意に基づく不法行為責任を免れないが、前者の場合にも、被告は警察当局が過去において、情報操作のため、虚偽の情報をことさら報道機関に流すことがあることを熟知していたにもかかわらず、警察情報を軽信し、これを裏付け、確認することを怠つたものであるから、過失に基づく不法行為責任を免れない。

(五)  損害

1 原告は印刷業を営むものであり、被告の二度にわたる執拗な犯人扱いの記事がなければ、印刷業者である訴外株式会社桜井広済堂から昭和四八年四月より毎月三〇〇万円ないし五〇〇万円相当の印刷の注文を受け、これを下請に出して、毎月三〇万円ないし五〇万円の利益を得ることができたのであるが、右記事を信じた桜井広済堂が発注を見合わせたため、原告は昭和四八年四月から昭和五〇年三月までの二年間に合計金七二〇万円ないし一、二〇〇万円の得べかりし利益を喪失し同額の損害を被つた。原告はこのうち金二〇〇万円を本訴において請求する。

2 原告は本件(一)及び(二)の各記事によつて筆舌に尽し難い精神的苦痛を被つたが、これを金銭をもつて慰藉するとすれば金一〇〇万円が相当である。

3 原告は印刷業を営むかたわら社会運動にもかかわつており、本件(一)及び(二)の各記事によつて社会生活上あるいは活動上多大な影響を受けた。右名誉の失墜を回復するためには新聞紙上に謝罪広告を掲載する必要があるが、右謝罪広告は朝日新聞東京版の読者のみでなく、他紙の読者で朝日新聞の読者から聞いた者や、その後購読紙を変えた者にも周知徹底する必要がある。また、広告の大きさと位置は、本件各記事と同程度に読者の目につくものでなければならない。

(六)  よつて、原告は被告に対し、名誉回復の処分として、請求の趣旨第一、二項記載の各謝罪広告の掲載を求めるとともに、損害の賠償として、金三〇〇万円及び内金一〇〇万円に対する不法行為の後である昭和四八年一月九日から、内金二〇〇万円に対する不法行為の後であつて請求拡張の日の翌日である昭和五〇年六月二一日から各支払済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める。〈以下省略〉

理由

一被告が昭和四七年六月一七日付被告会社東京本社発行の朝日新聞東京版朝刊最上段に四段抜で、「竹本は東京に潜伏か『変装、新幹線で送る』隠匿グループの青木が自供」との見出を付して、本件(一)の記事を掲載し、次いで、昭和四八年一月九日付朝日新聞東京版朝刊左最上段に四段抜で、「潜行一年――竹本はどこに」との見出を付して、本件(二)の記事を掲載し、いずれも東京都一円に頒布したことは当事者間に争いがない。

二原告は、自己が何ら犯罪行為に加功していないにもかかわらず、本件(一)の記事によつて、犯人蔵匿罪の犯人であるかのように報道され、その名誉を著しく毀損されたと主張するので、判断する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  本件(一)の記事の中に書かれている竹本信弘は、昭和四六年三月ころ原告の叔父の弁護士青木英五郎の紹介により原告と知合いになり、毎月二、三回東京都新宿区所在の原告方を訪れていたが、そのうちに両名は眤懇の仲となり、竹本は当時同人が関与していたいわゆる成田空港建設反対闘争の資金調達の方法等について原告に相談をもちかけるようになつた。

2  竹本は原告から、右資金調達の一策として竹本の仲間を働かせてはどうかと勧められ、就職先の紹介まで受けたが、これは竹本の意にそわなかつたため実行に移されなかつた。その後、竹本は原告に対し、右資金調達のため麻薬、ポルノ写真の売却の斡施方を依頼したが、原告が心当りは全くないといつて取合わなかつたため、この計画も実行に移されなかつた。

3  ところで、昭和四六年八月一日埼玉県朝霞市において、自衛官を殺害して武器等を奪取する事件(以下、朝霞事件という)が発生した。竹本はその前後より原告方に姿を見せなくなつたが、右事件後一か月余りして、再び原告方を訪れるようになり、同年一〇月ころ原告に対し、同人が朝霞事件に関与していることを打ちあけた。

4  竹本は昭和四七年一月九日朝霞事件に関連して、強盗予備の疑いで全国に指名手配され、同月一〇日ころより奈良県大和高田市の森本紀夫方に身をひそめた。その後竹本は東京方面に潜伏場所を変えようと考え、同年三月下旬ころ森本の知人である重田和夫に依頼して、原告に東京方面で竹本をかくまつてくれるところを世話してくれるよう伝えてもらつた。

5  原告は重田からの連絡によつて竹本が奈良県にひそんでいることを知り、同年四月一〇日同県御所市所在の青木喜作方(原告の実父)に赴き、同月一一日同人方で竹本と面会した。原告は竹本から、いま逮捕されれば仲間のことをしやべつてしまう、自分の考えをまとめるまでは捕まりたくないとの心境を聞き、同人の逃走を援助しようとの意を決したが、原告方にかくまうのは困難な事情にあつたため、潜伏場所として茨城県筑波山麓にある古通庵という普化宗の寺を教示し、古通庵の住職であり、旧年来の知人である平沼竹壺に話をしておくが、同人は特に話をしておかなくともかくまつてくれるだろうと告げた。

6  そこで、竹本は森本方に引返すと、森本、重田らと古通庵への逃走の計画を練り、まず重田の知人である串部宏之の自動車で東名高速道路を神奈川県海老名市付近まで行き、そこで森本の妻の従妹である古沢慶枝の自動車に乗換えて目的地に赴く手はずを整え、同年四月一六日右計画どおり、東名高速道路の海老名サービスエリア付近で、串部の自動車から吉沢の自動車に乗換えて、茨城県土浦市付近に至つた。そして、そこから古通庵に電話をしたところ、原告から平沼に連絡がなされていなかつたことから、平沼は古通庵への受入れを断つた。そこで、竹本は原告に電話で事情を話し、平沼に電話をしてくれるよう頼んだが、原告はこのようなことは平沼と直接会つて話すべきであると考え、竹本に対し、ひとまず土浦市内の旅館で泊つているよう指示し、旅館を紹介した。

7  しかし、竹本は右のような手違いが起きたことから、古通庵にかくまつてもらうことを断念し、原告から紹介された旅館には泊らず、東京都葛飾区の吉沢方に行き、そこから電話で知人と連絡をとり、同月一七日迎えに現われた知人の自動車で他の潜伏先に向かつた。

このように認められ、〈証拠判断省略〉。

右認定の事実によれば、原告は昭和四七年四月一一日父青木喜作方において竹本と面会した際、同人が強盗予備罪を犯し逃走中であることを知りながら、その逮捕を免れさせるため、同人に対し、潜伏場所として茨城県筑波山麓にある古通庵を教示したことが認められる。原告の右所為が刑法上犯人隠避の実行行為にあたるかどうかはさておき、右に認定したような事実がある以上、原告が竹本の逃走に加功していたことは否定し得べくもないから、原告が竹本の逃走と全く無関係であることを前提とする前記主張は理由がない。もつとも後記三、3、(一)及び四、2において認定するとおり、原告は昭和四七年六月一一日ころ奈良県警に逮捕されたが同月下旬何らの処分もなされないまま釈放されたものであり、また、その後今日まで原告について刑事上の処分がなされていないことは弁論の全趣旨により明らかであるが、この事実は未だそれだけでは、右の認定判断を左右すべきものとはいえない。

三1  ところで、前段認定の事実によれば、原告は竹本が奈良県大和高田市の森本方に身をひそめたこと及び竹本を人目につかない方法により奈良県から東京方面に逃走させた具体的方法には直接関与していなかつたことが認められ、他にこれを覆すに足りる的確な証拠はない。してみると、本件(一)の記事のうち、原告が竹本を森本方に預け、かくまうことを頼んだことを認めたとの記載部分及び原告が竹本のひげをそらせ、髣も短かくさせて、新幹線で東京へ連れてきて東京駅で別れたことを自供した旨の記載部分は、いずれも事実にそわないものというべきである。

しかし、本件(一)の記事を一般読者が普通の注意を以て読んだ場合、その重点は、竹本がそれまで潜伏していた奈良県から東京に移り、東京近辺に隠れている可能性が強まつたので警察当局はその捜査に力を入れているというところにあつて、竹本が東京に移るについて何人の手引きにより、どのような手段方法によつたかの点は、いわば従たるものと認められる。

従つて、右記事のうち原告が自供したとされた前示各記載部分は、記事全体においては従たる部分に属するものにすぎないうえに、右各記載部分のうち、少くとも原告が竹本の潜伏に関与していたことを自供したこと及び原告の自供によつて、竹本が昭和四七年四月従前の潜伏先である奈良県下から東京方面に脱出したことが判明したことが事実にそうものであることは後記3認定のとおりである。

2  また、本件記録と弁論の全趣旨によると、原告はまず昭和四八年一月九日の朝刊に掲載された本件(二)の記事に基き謝罪広告と損害賠償を求める訴訟を同年三月一六日に提起したが、被告側の主たる証人である宇野秀と原告本人(但し第一回)の尋問の終つた後である昭和五〇年六月一二日に至つて漸く本件(二)の記事に基づく損害賠償等の請求を追加する旨の書面を提出し、同年九月一日午後三時の第一二回口頭弁論期日においてこれを陳述したことが認められる。そうして〈証拠〉によると、原告は本件(二)の記事が掲載されるや直ちに口頭及び書面で被告の東京本社に抗議を申入れると共に、前認定のような関係にある原告代理人の青木英五郎弁護士に相談のうえ、右述のとおり本訴を提起したが、本件(一)の記事については、これを知つた当時被告に対し抗議を申入れることもなく、また、訴訟の手段に出ることを考慮した事蹟のなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

これらの事実に、本件(一)の記事のうちに問題の記載部分の占める比重が前1認定のとおりであることを考えると、原告は本件(一)の記事の掲載を知つた当時は、本件(二)の記事の場合とは異り、必しもそれが原告の名誉ないし信用を毀損するものであるとの強い考えを抱かなかつたものと認めるのが相当である。

3  そこで、更に進んで、前1のような事実にそわない記事が掲載されるに至つた経緯について検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  奈良県警は昭和四七年六月一一日ころ竹本を蔵匿または隠避し、あるいはこれを幇助した疑いで原告、森本、重田らを逮捕した。

(二)  奈良県警では原告を取調べた結果、原告から、竹本が指名手配後奈良県内に身をひそめていたこと、原告は奈良県に出向いて竹本と会い、潜伏場所として古通庵を教示したこと、原告が竹本と会つたとき、竹本は指名手配当時はやしていたひげをそり落し、髪も短かくして、別人のようになつていたこと、その後間もなく竹本は古通庵に向かい奈良県を脱出したが、古通庵には行かなかつたこと等の供述を引出した。

(三)  しかし奈良県警は、原告が竹本と指名手配以前からかなり親密な関係にあつたこと、原告が東京都内に居住し、しかも、印刷業を営んでおり、資金的にも余裕があると認められたことなどから、原告が竹本の奈良県での潜伏及び東京方面への逃走について重要な役割を果たしたのではないかとの疑いをもち、さらに原告の取調べを続けた。なお、奈良県警の右取調べの状況は逐一警察庁に報告されてきていた。

(四)  警察庁において取材にあたつていた被告会社の記者は昭和四七年六月一六日、同庁警備局公安三課(主として共産党以外の左翼を担当)の幹部(課長補佐以上の地位にあるもの)より、「竹本が東京に来たらしい。奈良県警からそういう報告があつた。」との情報を得た。そこで、右記者は同課の別の幹部に、「竹本が東京へ来たそうだな。」と話したところ、「うん、青木(原告のとこ)がおちてね(自供したこと)、青木がからんでるんだ。ひげもそり、髪も短かくして(中略)銀座で警察官が会つてもつかまらないよと非常に得意気にしやべつていた。青木は右翼だがとことんまで面倒みる人で、東京へ来たあとはわからんのだけれども、どうも青木がからんでいる。」との情報を得ることができた。右記者は原告が右翼であるということを聞いたので、今度は公安二課(主として右翼担当)の幹部のところに取材に行き、「青木は青木英五郎弁護士の紹介で竹本とは大分つきあいがあつたようだ。青木が竹本を変装させてつれてきたようだ。ただ、そのあと竹本がどこにいるかについては青木は言つていないが、竹本をあずかつている、あるいは隠している親しい仲間をかばつていることはどうも確かだと思う。との情報を得た。そこで、右記者は警備局の各課を統轄するより上級の幹部のところに取材に行き、これまで取材したことを全部話し、「ぼくの知つていることもほぼそれぐらいだよ。」との確認を得るとともに、竹本が東京に来たのは四月下旬であること、共犯者があると思うが、その点は解明されていないこと、竹本はひげもそつて全く別人のように変装しているので、東京に来るについては新幹線ということもありうること、変装した竹本の写真を警視庁はじめ必要な箇所に手配したことなどの情報を得た。

(五)  右記者は警備局公安二課及び三課の幹部三名から各情報が大筋において一致していたこと、警備局の各課を統轄するより上級の幹部から右情報についての確認を得たこと、右情報は奈良県警より責任ある報告を受けた警備局の幹部から得たものであることなどから、右情報には十分信憑性があると判断し、警視庁にまわつて竹本の新たな手配写真を入手した後、右情報に基づいて本件(一)の記事を執筆した。被告会社の編集者は右記者と同じ判断により右記事を昭和四七年六月一七日付朝日新聞東京版朝刊に掲載した。

このように認められ、他に右認定をすに足りる的確な証拠はない。

右認定の事実によれば、被告会社の記者は、奈良県警から原告の取調べの結果について責任ある報告を受ける立場にある警察庁警備局公安二課及び三課の幹部三名より原告の自供に関する情報を得たが、そのうち公安二課の幹部からの情報は、原告が本件(一)の記事に記載されたとおりの自供をしたことを推認させるものであり、他の二名からの情報もこれと抵触するものではなかつたこと、右記者が右各情報について、警備局の各課を統轄するより上級の幹部に意見を求めたところ、その幹部は当時原告に対する取調べが進行中であつたことなどから、原告の自供の内容の詳細等については明らかにしなかつたが、自分の知つていることもほぼそれくらいであると述べ、大筋において右各情報の正しいことを確認したことが認られる。

もつとも、右述の取材の対象は、直接原告らの取調べに当つた者ではないが、その職責上これと同等の信頼性を有するものと認められる。一方、右(一)ないし(三)認定の事実によれば、右記者の取材当時原告は身柄を拘束されて捜査当局の取調べを受けており、被告の記者が原告の供述調書を閲覧したり、原告本人からその自供内容について直接取材することは極めて困難な状況にあつたものと認められる。

してみると、被告の記者及び編集者は、本件(一)の記事のうち原告の自供に関する前示各記載部分を記事にするについては、信頼すべき対象からこれを取材したうえ、当時の状況のもとにおいては、それを裏付けるため一応なし得るだけの手だてをつくしたものというべきである。

4  ところで、本件(一)の記事の内容及び〈証拠〉によれば、右記事は、その思想的影響を受けた者が、世間の耳目を衝動させるような種々の事件を惹起している関西系の新左翼過激派の教祖的な地位にある竹本の所在を警察が全国的規模で追及している事実を報道することを目的としたものであることが明らかであるから、右記事の掲載は公共の利害に関する事実につき、専ら公益を図る目的でなされたものと認めるのが相当である。

5  以上のとおり、本件(一)の記事の性格とその掲載の目的は公共の利害に関する事実について、専ら公益を図るためにあるうえに、その記事のうちで事実に反する記載部分は、記事全体からみれば従たる部分に属しその中心を占めるものではないことに加えて、原告自身右記事について、その掲載当時は、これに異議をとなえたり、損害賠償等を訴求したりするような心情、意図を有していなかつたことを考えると、右3に認定判断した取材状況のもとにおいて、右記事を執筆した記者及びこれを掲載した編集者が、右事実に反する記載部分、即ち原告の自供内容に関する部分を真実であると信ずるについては、相当な理由があつたものと認めるのが相当である。

してみると、本件(一)の記事のうちには真実に反する部分はあるが、これを掲載したことについて、被告には未だ故意過失があつたものと認めることはできないものというべく、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はないから、右記事の報道を以て原告に対する不法行為に該るものということはできない。

四1  次に原告は、本件(二)の記事は原告が現に竹本をかくまつているか、あるいはその疑いのきわめて濃厚な人物であるかのような誤つた印象を読者に与えるものであり、これによつて原告はその名誉を著しく毀損されたと主張するので、判断する。

本件(二)の記事によれば、右はかねて強盗予備の容疑で指名手配されていた竹本が、その後一年を経過しても逮捕されていないことから、竹本に関するこれまでの警察当局の捜査状況を具体的に摘示して報道したものと認められる。右記事の中には、警察当局の捜査により、竹本が昭和四六年四月潜伏先の奈良県から上京したことがわかつたが、それ以後の足取りについては有力な手がかりがないこと、竹本は昭和四七年一月現在もなお、都内かその周辺にひそんでいる可能性が強いこと、警察当局は竹本と関係のある者のうち、特に二、三〇〇人をマークし、竹本の接近に目を光らせていることなどの事実が記載されているが、原告が竹本をかくまつている疑いが濃厚である旨の記述はなく、また、右記事を通読してみても、右記事が通常の注意力をもつ一般の読者に対して、竹本をかくまつているのは原告ではないかとの印象を与えるものということはできない。〈証拠判断省略〉。

もつとも、右記事中の原告の氏名には敬称が付されておらず、〈証拠〉によれば、朝日新聞においては原則として被疑者の氏名には敬称を付さない扱いであることが認められる。ところで、右のような扱いがあるからといつて、(なお、原告の氏名に敬称を付さなかつたこと自体の当否は後に判断するので暫く措く)、本件記事において、原告の氏名に敬称を付さず呼捨てにしたことによつて直ちに、一般読者に対し、原告が昭和四七年一月現在もなお竹本の逃走ないし隠匿に関与しているとの印象を与えるものということはできない。また、右記事は竹本の関係者のうち、原告及び菊井良治についてのみ氏名を明らかにし、他の者については、「有名作家」「知人」「映画監督」「大学助教授」等と表示して、その氏名を明らかにしていないが、そのことだけでは未だ原告が竹本をかくまつたり、その疑があることが推測されるものということはできない。

なお、本件に現れたすべての資料を検討してみても、叙上の認定判断を覆し、原告の主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

2  ところで、本件(二)の記事の中には原告が昭和四六年六月犯人蔵匿の容疑で逮捕されたこと及び竹本が原告にポルノ写真、麻薬を売りさばいてくれないかともちかけたことが記載されている。しかし、前記二及び三認定の事実によれば、右記載内容はいずれも真実であると認められ、しかも、本件(二)の記事の内容及び〈証拠〉によれば右記事の目的は、前四認定のような状況にある竹本の捜査状況を報道することに在つたことが認められるから、右記事の報道は公共の利害に関する事実につき、もつぱら公益を図る目的でなされたことが明らかである。従つて、被告が右記事において前記各事実を報道したことは違法性がないものというべきである。

次に、〈証拠〉によれば、被告においては、逮捕された被疑者が何らの処分もなされないまま釈放された場合、その後右の者について報道するときの扱いとして、その氏名に敬称を付することもあることが認められる。ところで、〈証拠〉によると、原告は犯人蔵匿罪の容疑で逮捕されたが、何らの処分もなされないまま昭和四七年六月下旬釈放されたことが明らかであるから、本件(二)の記事中において原告の氏名に敬称を付さなかつたことは、右の扱いと均衡を失するのではないかとの疑いが生ずる。しかし、〈証拠〉によれば、被告は原告について右記事掲載当時、なお、約七か月前に逮捕された容疑事実である犯人蔵匿の嫌疑があると判断して、敬称を付さなかつたものであることが認められるところ、前記二認定の事実と〈証拠〉によつて明らかな右記事についての取材の経緯に照して考えると被告の右判断の根拠を有するものと認められ、これに反する証拠はないから、本件(二)の記事中において敬称を付さなかつたことが直ちに被告の取扱い基準に反するものとはいえない。その他、本件に現れたすべての資料によるも、被告において特に原告をことさら差別する意図の下に、自ら設立した取扱基準に反して、敬称を付することをしなかつたものと認めることはできない。

従つて、本件(二)の記事中において原告の氏名に敬称を付さなかつたことを以て直ちに違法であるということはできない。

3  その他、本件(二)の記事の報道が不法行為に該ることを認めるに足りる的確な証拠はない。

五以上のとおり本件(一)及び(二)の記事が原告に対する不法行為を構成するものとは認め難いから、これを前提とする原告の本訴請求は、爾余の点につき更に立入つて判断するまでもなく理由がない。よつて、これを棄却し、訴訟費用は敗訴の原告の負担として、主文のとおり判決する。

(川上泉 海保寛 園尾隆司)

朝日新聞謝罪広告文案〈省略〉

新聞記事 (一)

(前文) 埼玉県朝霞の自衛官殺害事件などにからむ強盗予備罪で全国に指名手配され、今度のテルアビブ空港乱射事件でも犯人グループを日本から送り出した“元締め”ではないかとみられている京大助手竹本信弘(三二)=ペンネーム滝田修=が東京都内に潜伏している可能性が強まり、警察庁は十六日、竹本の都内の立回り先や簡易旅館などを厳重に調べるよう警視庁へ指示した。これは奈良県警に竹本をかくまつたほう助の疑いでつかまつている新宿区大京町印刷業青木哲(四九)の自供から明らかになつたもので、青木の話では、竹本はヒゲをそり、髪型を変えているというので、これまでの手配写真を修整、合わせて同日手配した。

(本文) 奈良県警から同日午後警察庁へはいつた報告では、青木はこれまで竹本を奈良県大和高田市礎野東町、英語塾経営、元京都府学連執行委員森本忠紀(二八)宅に二月中旬に預け、かくまうことを頼んだことは認めたが、その後の行先については心当りがないと言張つていた。しかし同日午後になつて「四月下旬ごろ、新聞などで竹本の奈良潜伏説が流れ、竹本自身もそろそろ場所を変えたいと希望したので奈良まで迎えに行き、新幹線で東京へ連れてきて東京駅で別れた」と自供した。この時、竹本の長いヒゲと長髪が目立つので、ヒゲをそらせ、カミも短かくさせたといい、青木は「銀座のど真中で竹本に会つてもわからないでしよう」と自信あり気だつたという。青木の自供では、竹本と別れたのは四月下旬になつているが、警察当局はごく最近まで青木が竹本と連絡し、シンパの多い東京が竹本にはかくれやすいところからいまだに都内に潜伏している可能性は強いとみている。竹本は東京・練馬区の米空軍部隊基地グランドハイツに自衛隊員を装つて侵入、銃などの武器を奪おうとして果さなかつた強盗予備の疑いで今年一月九日、埼玉県警が全国に指名手配していた。竹本が今度のテルアビブ空港乱射事件のカギを握る黒幕とみられているのは同空港襲撃事件の犯人、奥平剛士や安田安之が竹本の指導で四十四年に生れた京大パルチザンの出身であるうえ十六日、京都市内でつかまつた檜森孝雄(二四)とも竹本はしばしば連絡しあうなど犯人グループの思想上の教祖的存在だつたといわれており、同庁では竹本を逮捕することで空港乱射事件の背後組織を解明できるものと期待している。

新聞記事 (二)

(前文) 埼玉県朝霞の自衛官殺害事件に関連して、京大助手竹本信弘(三二)=筆名滝田修=が同県警から強盗予備容疑で指名手配されて九日でまる一年たつ。竹本は自衛官殺しのほか、警視総監公舎、千葉県成田警察署の爆破事件やテルアビブ空港事件など一連の過激派の事件で、つねに「黒幕」「陰の指導者」の疑いが濃いとして浮び上がつてきた。事件の核心にメスを入れようと、埼玉県警をはじめ警視庁、京都府警、神奈川県警などが、この「疑惑のべールに包まれた男」を必死に追い続けてきたが、昨年四月奈良県の潜伏先から上京したのを最後に、足取りはプツンと切れたままだ。しかし、埼玉県警はこの一年間の捜査で、竹本が武器を奪うため、自衛官殺しを指揮した裏付け資料がとれたとしており、手配の容疑を「強盗殺人」に切替える準備を進めている。竹本はどこへ隠れたのか。

(中見出) 首都圏に?ひそむ 埼玉県警「殺人」で手配の準備も

(本文) 共同正犯 昨年六月、奈良県警に竹本をかくまつた疑いでつかまつた東京都新宿区大京町、印刷業青木哲(四九)はじめ、調べを受けた友人らの話から、竹本は自衛官殺害事件が起きた昭和四十六年八月二十一日の約一カ月前に「成田空港反対の三里塚闘争に武器を用いたい。武器は自衛隊から奪うつもりだ」ともらしていた事実を捜査当局はつかんだ。また、朝霞事件以後「赤衛軍」リーダーの菊井良治(二三)が逮捕された十一月にかけて、有名作家に「仲間を逃がしたいが資金がない。百万円出してくれ」ともちかけて断られた。そして、青木などに資金援助を頼んだほか「ポルノ写真、麻薬を売りさばいてくれないか」ともちかけ、金策に走り回つていたこともわかつた。さらに「懲役十三年くらい覚悟しなければならない」と強盗殺人の共犯を意識したようなことばを知人にもらしていた。こうした言動から捜査当局は、竹本が武器奪取を目的として朝霞事件を指揮していたこと、つまり「共同正犯」の裏付けがかなりそろつた、と自信を強めており、手配の容疑をいつでも切替えられるよう準備をととのえている。

文化人グループ 竹本追跡に埼玉県警は、延べ一万人以上の捜査員を動かした。ほとんど休みなし、一日平均三十人が都内や埼玉を中心に首都圏一帯をさがし回つている。家宅捜索は三十一カ所にのぼつた。この中に、竹本に近いといわれる映画監督、大学助教授、助手、月刊誌記者らの「文化人グループ」がある。捜査当局は、このグループが竹本と接触した疑いがきわめて濃いとしており、潜伏先割出しの糸口をつかもうと、グループへの捜査を強めている。捜索の時の押収品から、竹本になんらかのかかわりを持つ者として四千五百人の名前が浮び、すでに任意調べをした。捜査陣は、この中からとくに二千三百人をマークし、竹本の「接近」に目を光らせている。

手配書二十万枚 いま、全国に二十万枚の手配書がはりめぐらされている。ポスターを見て「ここにいる」といつた情報も舞込む。昨年十一月末「竹本がテレビのクイズ番組に出ている」との通報。警視庁が当つてみると、人相はピツタリ。あまりの「そつくりさん」にドキツとしたが、やはり別人だつた。熊本県内でも、十二月中旬同じようにそつくりの男が職務質問を受けたが、これも違つた。手配の直接の容疑は、東京・練馬の米軍グランドハイツ襲撃事件の強盗予備。しかし、捜査は凶悪犯なみのものものしさだ。

足取り 捜査当局の調べでは、昨年一月九日手配されてから四月中旬までは奈良県内の京大時代の知人宅に身をひそめていた。この間、外出したのはわずか二回。じつと奥の部屋にこもつたきり。ここの家に来客があると、竹本は絶対に水も飲まず、トイレにも立たなかつたという。初めは自首を考えていたようだつたが、逃げのびるにつれて「つかまれば、仲間のことまで全部自白してしまいそう」といい出していたという。昨年四月十六日、突然上京した。十七日、茨城県土浦から都内の知合いに電話があり、「泊るところを紹介して」と頼んできた。旅館をあつ旋してもらつたが、結局、泊らなかつた。ここまでの足取りは奈良県警が犯人隠避の疑いで逮捕した三人の調べからわかつたが、それ以後は有力な手がかりがない。上京に使つた車、奈良や都内で「かくまつてほしい」と知人の間を頼み回つた「代理人」、いまでも竹本と会つている疑いの濃い文化人など、断片的なデータはそろつているが……。埼玉県警の八島警備部長は、こうしたデータをつき合わせて「竹本はまだ東京都内かその周辺にひそんでいる可能性が強い。知合いの家に転々とかくまわれ、奈良県内で隠れていたように、外出もしないで、こもり続けているとしか考えられない」と話している。

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